丗有王皆統屬女王國

 歴代の伊都国王は全員が女王国に従属して来たと書かれている。伊都国王「個人」が女王国という「国」に統属している。この関係は天皇家と伴造氏族と同じである。伊都国王は、漢委奴国王、倭国王帥升、卑弥呼と連続して従属して来たと思われる。同じ原史料で編纂された魏略にこの記載はない。魏略にはなく魏志にあるのは266年の朝貢の際の情報と考えられる。また女王国に仕えて来たとすると、伊都国の記載内容や地形からしてその役割は海上活動である。

 島伝い航行しかできなかった時代壱岐から伊都国まで監視し、津に必ず行かせるための守備としては、唐津呼子から津屋崎までがその範囲となる。海流は東北向きなので、壱岐と津屋崎が特に重要となる。この宮地嶽神社を中心とする津屋崎古墳群一帯が「不彌國」であり、後の時代までそれ相当の遺跡、出土品がある。また一大國と共に「家」表記があり海軍を思わせる。宮地嶽神社は宗像徳善ではない、阿曇族の本家であり志賀海神社の兄貴分である。


 女王国とは何処か?この時代に女王国といって分かるのは、委奴国以外には考えられない。委奴国と思われる春日市の工業化は、この時代は他国を圧倒している。

 
伊都国王とは、委奴国王統に古くから追従して来た海人族の棟梁である。

この海人族が、後の「阿曇氏」となって行くのだろう。したがって越滅亡時の四散と同じように、阿曇族も全国へと散らばって行った。

 魏志倭人伝「副曰泄謨觚 柄渠觚」 

觚(こ)とは爵(しゃく)とセットで用いられた祭祀用の飲酒器である。商代前期に出現したが、そのうちに爵と必ずセットになり、商代後期に最も盛行した。下半分は上げ底で、外反した部分が足である。上方に向かってラッパ形の口が大きく開く。

           

「觚」は職名であり、外交官、接待役である。「郡使往來常所駐」とあり、梯儁等、張政等もここに滞在した。伊都国とは繁栄している港であるのに有千餘戸と少ない。
これは住人の殆んどが海人であり、今津湾の沿岸付近の狭い地域である。伊都国にある迎賓館での接待が觚のついている人達の役目なのである。特置の一大率は、魏使の来倭の行程内にある以北の国々を「檢察諸國 諸國畏憚之」しているのである。魏は卑弥呼を支持しているとして、為政者側の越人が、縄文人の諸国を威嚇しているのである。

 戦争の図式は、は
「越と縄文」である。卑弥呼の宿敵「狗奴國男王卑彌弓呼」は縄文人であり、勢力の衰えて来た委奴国越人を追い出すために戦争を仕掛けたのである。同じ縄文の「壹與年十三爲王 國中遂定」で和解となる。そして狗奴國の装飾古墳が飯塚を指して年々北上し、王塚古墳で開花するのである。

           狭い桂川町にひしめく前方後円墳



                    
                   



 

 


 



































 
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