ゴリゴリの九州説である私は、邪馬壹國のある九州が何故卑弥呼時代から衰退し、畿内が急速に発展して行くのか、その答えを持っていなかった。ある日卑彌呼と壹與の間に深い断絶を感じた。すると歴史が繋がり出した。


 倭国を作ったのは越人である。漢委奴国王、倭国王帥升、卑弥呼も越人であり、論衡、山海経の倭人も越人である。紀元前473年に越王の勾践は呉の夫差を滅ぼし、山東半島南側の青島市の西南まで北上して琅邪山を都とした。そして華北、華南を繋ぐ貿易港として栄えた。

 紀元前333年頃今度は越が楚に滅ぼされると、越人達は各地へ四散して行った。航海上手の越人達は、朝鮮半島南部や九州北部へと移住して来た。同じ亜熱帯気候の倭国は住み易く、人の少ない海岸線の高台に住みつき次第に占有して行った。福岡県春日市の須玖岡本、タカウタ遺跡を造ったのはこの委奴国の越人達である。

 卑弥呼時代に衰退した委奴国の越人勢力は対馬へと退却し、倭国の実権は縄文人の手に戻って来た。倭国の始祖王は縄文人の壹與である。記紀に卑弥呼の記述がないのは越人だったからであり、記紀は倭人政権の史書なのである。

 定説にとらわれず臨場感のある推理をして行きたい。


                    
                   
                  参考著書

            倭国           岡田英弘
            魏志倭人伝解読      生野眞好
            日本国成立の日      生野眞好
            魏志倭人伝の謎を解く   渡邊義浩
            邪馬台国の全解決     孫 栄健                       



 

 


 



































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